アンパンマン前史を調査!

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目 次

できごと

やなせ先生誕生!

 1919年(大正8年)2月6日。まんが王国≠フ高知県出身。本名は「柳瀬嵩」。代表作は『アンパンマン』のほかに、『やさしいライオン』。作詞では『手のひらを太陽に』が有名。『月刊詩とメルヘン』(サンリオ)の編集長も30年に渡って務めた。

終戦の日

 1945年(昭和20年)8月15日。今まで正しいと言われていたことが、この日を境に逆転する。それはのちの『アンパンマン』に大きく影響したとやなせ先生は語る。

『見あげてごらん夜の星を』が公演!

 1960年(昭和35年)7月、大阪のフェスティバルホールで。台本と演出は永六輔先生。美術を担当したやなせ先生は、永先生の影響を受けて作詞も始める。作曲家のいずみたく先生と出会ったのもこの時。『手のひらを太陽に』のヒットを機に、月に1回、童謡を長きに渡り作り続けた名コンビが誕生した。『アンパンマン』の歌の多くもいずみ先生の作曲。ミュージカル化も何度され、テレビ化前から全国を巡回した。

『愛する歌』が刊行!

 1966年(昭和41年)9月、山梨シルクセンター出版部。やなせ先生の詩集のひとつ。山梨シルクセンターは、のちに世界的企業となるサンリオの前身。『ハローキティ』で有名なあのサンリオだ。『愛する歌』は何を隠そう、そんな大企業の出版物第1号。出版事業を始めたのは、やなせ先生に惚れ込んだ辻信太郎社長の突発的な行動≠セったという。『アンパンマン』もある時期まではサンリオにお世話になった。『アンパンマン』の今日があるのもサンリオのお陰だろう。詳しくは『アンパンマンの遺書』(2013年12月17日、岩波書店)で。

『ブルブルとムクムク』が掲載!

 1967年(昭和42年)11月、『PHP〔12月号〕』(PHP研究所)が発売。『子供のための物語』の第12回で。何度も書き直され、『やさしいライオン』というタイトルで知られる犬とライオンの親子の物語のひとつ。『十二の真珠』(1990年6月15日、サンリオ)によると、この作品が初代アンパンマンで有名なのちの短編童話の連載に繋がったという。

『アゴヒゲの好きな魔女』が刊行!

 1968年(昭和43年)10月1日、山梨シルクセンター出版部(現サンリオ)。やなせ先生の短編童話集のひとつ。3話目の『怪傑ゼロ』にアンパンマンのプロトタイプ的なキャラクターが登場する。1970年(昭和45年)に同社、1973年(昭和48年)には『やさしいライオン』と改題してサンリオから再版された。

『こどもの絵本』が連載開始!

 1968年(昭和43年)12月、『PHP〔1月号〕』(PHP研究所)が発売。第1回が掲載される。1年間の短編童話の連載。全12回。この連載の中で初代アンパンマンが登場する。単行本は『十二の真珠』というタイトルで発売。第1回は『ジャンボとバルー』。

当時の新聞も!

 『PHP』は毎月中旬頃に新聞に広告を掲載。『こどもの絵本』が写真付きで紹介される月もあった。初代アンパンマンの回は残念ながらスルーされたが。

絵本の『やさしいライオン』が掲載!

 1969年(昭和44年)4月、フレーベル館の月刊保育絵本が定期購読している全国の幼稚園や保育園などに配布。そのひとつである『キンダーおはなしえほん〔5月号〕』で。これがヒットし、のちの『あんぱんまん』へと繋がる。『アンパンマン伝説』(2023年7月、フレーベル館)などを参考。

『ピカちゃんとあんパン』が掲載!

 1969年(昭和44年)8月発売の『2年の学習〔9月臨時増刊号〕』(学習研究社)に。『アンパンマン伝説』(2023年、フレーベル館)で触れているパンとの最初の付き合いらしい謎の作品≠ニ内容が一致する。

初代アンパンマン登場!

 1969年(昭和44年)9月、『PHP〔10月号〕』(PHP研究所)が発売。『アンパンマン』が掲載される。『こどもの絵本』の第10回。この時は顔が普通の人間で、手持ちのアンパンを子供に与えていたというのは有名な話。「茶色のマント」という設定はもう存在していた。

本当に初代か?

 世間的には初代アンパンマン≠ニして認識されているが、やなせ先生は2012年(平成24年)に単行本の『十二の真珠』が復刊ドットコムから再版された際、作品が生まれた経緯について述べている。それによると、『こどもの絵本』の連載前にラジオの台本を書いていて、その中から『アンパンマン』や『やさしいライオン』の原型のようなものがあったという。具体的な時期は不明だが、『MOE〔2002年(平成14年)2月号〕』(白泉社)に掲載された『プロジェクトMOE キャラクターはじめて物語』によると1960年代のどこからしい。

『十二の真珠』が刊行!

 1970年(昭和45年)3月25日、山梨シルクセンター出版部(現サンリオ出版)。『PHP』(PHP研究所)で連載された『こどもの絵本』の全12回を漏れなく収録した単行本。初代アンパンマンが登場することで有名で、1990年(平成2年)にサンリオ出版、2012年(平成24年)には復刊ドットコムから再版された。

アンパンマンだけではない代表作!

 『ジャンボとバルー』、『チリンの鈴』、『キュラキュラの血』、『クシャラ姫』など、のちに絵本などに書き直された作品も収録されている。『アンパンマン』はその中のひとつに過ぎないのだ。
 私は当初、『アンパンマン』の歴史を後追いしたいという考えはあっても、ほかのやなせ作品については、失礼ながらそれほど興味がなかった。そんな人が『アンパンマン』から次のステップ≠ノ進む切っ掛けになるのも、この本が持つ力だろう! 「やなせ先生をよく知らない人は、まずコレを読め!」という1冊なのだ。

日本のサン・テグジュペリ?

 帯の解説も凄い。詩人で童話作家の岸田衿子先生の評も。のちの復刊バージョンにもどこかに転用することはできなかったのだろうか…?

雑誌版との違い?

 イラストは単行本化の際、一部差し換えられている。話は巻末の『あとがき』の通り、『チリンの鈴』と『ジャンボとバルー』だけ20枚の原稿にアップデート。ジャンボたちが南の国からやってくるくだりは、雑誌版だと、冒頭ではなく、回想シーンとして配置されている。『チリンの鈴』はタイトルも違い、雑誌では『羊の涙』として発表した。

収録順

 トップバッターは『バラの花とジョー』となり、雑誌で発表された順とは異なる。雑誌では『ジャンボとバルー』が第1回として掲載された。『十二の真珠』が不動の最終話≠ニいうのはやなせ先生の拘りだろう。

『風の歌』の正体!?

 やなせ先生が初めて作った物語は戦争で兵隊に取られた時、中国の農村でやった紙芝居だという。『朝日新聞〔1997年(平成9年)2月3日付朝刊〕』(朝日新聞社)の教育面に掲載された『おやじの背中』によると、別々に暮らす双子の兄弟が登場する話だったとのこと。片方がケガすれば、もう片方の体も痛む兄弟だとの説明も。つまり、『風の歌』はこれを書き直した作品なのだ。けれど、原の話はハッピーエンドだったらしい。結末を変えたのはその後、日本が戦争で負けたからだろうか?

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