1973年度を調査!

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目 次

できごと

『季刊詩とメルヘン』が創刊!

 1973年(昭和48年)4月20日に発売。サンリオより。やなせ先生が30年間、編集長を務めた伝説の雑誌。翌年から刊行頻度変更に伴い誌名を『月刊詩とメルヘン』に改める。『怪傑アンパンマン』の連載はさらにのちの話である。

アンパンマン絵本誕生!

 1973年(昭和48年)9月、『あんぱんまん』が掲載。フレーベル館の月刊保育絵本が定期購読している全国の幼稚園や保育園などに配布。そのひとつである『キンダーおはなしえほん〔10月号〕』で。『アンパンマン』の記念すべき絵本1作目となる。

アンパンマンの始まりは?

 『アンパンマン』の歴史は公式でもここからとされることが多いが、実際にはもっと前からである。最初は顔が人間で手持ちのアンパンを子供に与えていたのは有名な話だ。

掲載までの流れ

 まずその4年前、『キンダーおはなしえほん〔1969年(昭和44年)5月号〕』に『やさしいライオン』が掲載された。これが映画化もされ話題になり、やなせ先生は新たな名作≠求められた。それで…なのである。『アンパンマン伝説』(2023年7月、フレーベル館)などを参考。

当時の評判?

 第2のやさしいライオン≠ニして期待された『あんぱんまん』だが、当時の評判はあまりよくなかった。そこで、4月に創刊したやなせ先生編集長のあの雑誌の出番となった。『アンパンマンの遺書』(2013年12月17日、岩波書店)、『アンパンマン伝説』(2023年7月、フレーベル館)などを参考。

3冊目の絵本?

 『アンパンマンの遺書』(2013年12月17日、岩波書店)によると、それまでの絵本は『飛ぶワニ』(1965年、岩波書店)と『やさしいライオン』(1969年、フレーベル館)の2冊だけだったとのこと。しかし、やなせ先生も詳しく覚えていないためか、実際には『やさしいライオン』と『あんぱんまん』の間となる『キンダーおはなしえほん〔1972年(昭和47年)5月号〕』に『さよならジャンボ』が掲載されている。

あと付だったこの設定!

 アンパンマンの作りの親はジャムおじさんというのは基本的な知識だが、先入観を捨てて最初の絵本を読み返してみよう! そんなことはどこにも書かれていない。当時のアンパンマンは家族がいない謎の放浪者≠セったのだ。

『アリスのさくらんぼ』が刊行!

 1973年(昭和48年)10月、サンリオ。やなせ先生の短編童話集のひとつ。6話目に『飛べ!アンパンマン』が収録された。

人間嫌だったアンパンマン

 照れ屋でちょっぴり無愛想な怪人。一人称は「おれ」。唯一の理解者は漫画家のヤルセだけだった。

ヘソ話術!?

 顔がない時のアンパンマンが、第二の口≠ナ会話するところも注目点。現物を手に入れて読んでみよう!

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