当時の習慣
毎週金曜日は?
夕方5時から5時半に…。あれっ!? 何だっけ? 確か関東地区のテレビだったと思うのだが…。まあ、いいか。気になるけど、忘れたから仕方がない。
毎月7日は?
『月刊詩とメルヘン』(サンリオ)の発売日。『きまぐれ絵日記』には時々、『アンパンマン』のイベントなどが書かれた。
『アンパンマンとばいきんまん』が静岡で上映!
1997年(平成9年)6月15日、御幸町の市民文化センター小ホテルにて。時間は午前10時半から午後0時10分、午後1時半から午後3時10分。平垣の市民センターでも29日、同じ時間に上映された。このアニメは1988年(昭和63年)からテレビで放送されているものとは別の作品だと思われる。
『アンパンマンの世界 やなせたかし作品集』が刊行!
1997年(平成9年)7月、フレーベル館。アンパンマンミュージアムオープン1周年記念。アンパンマンミュージアムのオープンに向けて描き始めたアクリル画に解説を付けた作品集。
制作年の謎?
巻頭のリストに作品名と共に制作年も記載。しかし、アンパンマンミュージアムのオープン数年に展覧会などで発表された作品も「1996年」となっている。
『アンパンマン伝説』が刊行!
1997年(平成9年)7月、フレーベル館。アンパンマンミュージアムオープン1周年記念。『おはよう21』(中央法規出版社)で2年間連載されていた同名の詩集を加筆修正したもの。キャラクターの誕生秘話が明かされる。
この作品の正体は?
6ページの『はじまりは、わからない』で、『アンパンマン』の原点らしき作品を紹介。カミナリの子供がパンの形の煙を食べる話だったという。タイトルや具体的な時期などは覚えていないらしいが、多分、『2年の学習〔1969年(昭和44年)9月臨時増刊号〕』(学習研究社)に掲載された『ピカちゃんとあんパン』のことだろう。
アンパンマン図書館がオープン!
1997年(平成9年)7月12日、香北町美良布の商店街にある公民館の2階に。やなせ先生が持っている絵本や童話、漫画、そして、文学全集など蔵書約2700冊が寄贈された。詳しくは『月刊詩とメルヘン〔1997年10月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第189回で。『朝日新聞〔1997年7月13日付朝刊〕』(朝日新聞社)の地域面も。
幻の図書館
『気まぐれ絵日記』の第189回によると、当初はアンパンマンミュージアムに作る予定だったいう。
『アンパンマンまじょのくにへ』が福島で上映!
1997年(平成9年)8月24日、郡山で開催された『夏休み子供映画会』で。場所は開成一丁目の児童文化会館。時間は午前10時と午後13時半。このアニメは1988年(昭和63年)からテレビで放送されているものとは別の作品だと思われる。情報は『朝日新聞〔1998年8月22日付朝刊〕』(朝日新聞社)の地域面に掲載された『情報データバンク』から。
アンパンマン土佐凧を展示!
1997年(平成9年)7月12日、高知空港ビル2階に。やなせ先生が土佐和紙に絵を描き、土佐凧作りの第一人者の吉川登志之さんが骨組みをした。詳しくは『朝日新聞〔1997年7月13日付朝刊〕』の地域面を参考。
『アンパンマンミュージアム一周年パーティ』 が開催!
1997年(平成9年)7月21日。やなせ先生は虹のピラミッドから登場した。その模様は『月刊詩とメルヘン〔1997年11月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第190回を参考。
『アンパンマン展』が岡山で!
1997年(平成9年)8月7日、美作市作東美術館にて。地元の幼稚園の子供たちと記念撮影もした。その模様は『月刊詩とメルヘン〔1997年11月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第190回を参考。
憧れのペイネと
同美術館はレイモン・ペイネ先生の作品が所蔵されていることで有名。ペイネ作品の影響を受けたやなせ先生とっては夢の企画だった。
『アンパンマンまじょのくにへ』が東京で上映会!
1997年(平成9年)8月17日から24日まで千代田区で開催された『夏休みこどもアニメ映画会』で。場所は神田須田町の交通博物館3階の映画ホール。時間は午前9時から午後5時まで。このアニメは1988年(昭和63年)からテレビで放送されているものとは別の作品だと思われる。情報は『毎日新聞〔1997年8月14日付夕刊〕』(毎日新聞社)から。
『アンパンマンワールド』が愛知県犬山市で!
1997年(平成9年)9月12日から11月まで。場所は犬山官林の日本モンキーパーク。
『アンパンマン原画展』が長野で!
1997年(平成8年)10月5日、千曲市のふる里漫画館にて。詳しくは『月刊詩とメルヘン〔1998年(平成10年)1月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第192回を参考。
近藤日出造先生への恩返し!
近藤日出造先生の功績を讃えて建てられたふる里漫画館。近藤先生は千曲市稲荷山出身の政治漫画家。『気まぐれ絵日記』によると、やなせ先生も漫画家の駆け出し頃にお世話になったという。
『地球環境フェア 97 in 高知』が開催!
1997年(平成9年)10月25日から26日、丸ノ内緑地にて。26日にはアンパンマンの正義をテーマにしたやなせ先生の講演会が行われた。詳しくは『朝日新聞〔1997年10月26日付〕』(朝日新聞社)を参考。
『アンパンマンドールブック』が創刊!
1997年(平成9年)11月、フレーベル館。特別編的な位置づけの絵本レーベル。巻末に張り付けたマスコットに合わせてページが型抜きされている。『だあれ?』、『なにがすき?』、『こわいのは?』の全3巻が一気に書店に並んだ。
アニメ絵!?
2005年(平成17年)にアニメ絵で再販された。やなせ先生の絵では何かご不満なのだろうか?
『やなせたかし原画展』が岡山で開催!
1997年(平成9年)12月12日まで。場所は久米郡旭町文化会館。情報は『朝日新聞〔1997年12月11日付朝刊〕』(朝日新聞社)の地域面から。『月刊詩とメルヘン〔1998年(平成10年)3月号〕』に『気まぐれ絵日記』の第194回によると、8月の美作市をスタートに、岡山ではこのほか、里圧町、倉敷市でもあったという。詳しい時期は不明。
アンパンマンミュージアムが40万人に!
1998年(平成10年)1月12日に突破。オープンは1996年(平成8年)7月21日で、ここから1年3カ月。『月刊詩とメルヘン〔1996年12月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第179回によると、オープン前は年間10万人が目標だったという。しかし、やなせ先生は慶応病院に入院していたため、この日、ミュージアムには行けなかった。詳しくは『同〔1998年4月号〕』に掲載された『気まぐれ絵日記』の第195回を参考。
テレビ電話
入院中のやなせ先生だが、40万人目のお客様とは会話ができた。『気まぐれ絵日記』の第195回によると、テレビ電話を使ったという。
『阪神大震災・みんな元気かい?』の原画展が大阪で!
1998年(平成10年)1月18日まで。場所は枚方市長尾本町一丁目の私立菅原公民館。情報は『朝日新聞〔1998年1月16日付朝刊〕』(朝日新聞社)の地域面から。
『アンパンマンのこもりうた』が創刊!
1998年(平成10年)1月、フレーベル館。21cm×16cmのA5判。『アンパンマンのおはなしでてこい』に代わる絵本レーベルか、それとも特別編的な位置づけかは微妙なところ。ほかの絵本とは違い、1冊に5話の短編が収録されている。巻末にはやなせ先生の作詩によるこもりうたも。第1回配本は『ねむねむおじさん』。
曲がないこもりうた
『ねむねむおじさん』の巻末に収録されたこもりうたは、この時点では歌詞のみ。5年前に他界した作曲家のいずみたく先生のことを考えてしまう寂しいページだ。
『やなせたかしの世界展』が群馬県佐波郡で!
1998年(平成10年)3月16日から29日まで。場所は玉村町福島の町文化センター小ホール。2ヶ月前は入院していたやなせ先生だが、この時にもう回復し、3月20日のトークショーは無事行われた。詳しくは『月刊詩とメルヘン〔1998年7月号〕』(サンリオ)に掲載された『気まぐれ絵日記』の第198回を参考。『朝日新聞〔1992年3月21日付朝刊〕』(朝日新聞社)の地域面にも。
『アンパンマンの世界展』がまたまた岡山で!
1998年(平成10年)3月20日から4月8月日まで。場所は川上郡川上町の吉備川上ふれあい漫画美術館。情報は『朝日新聞〔1998年3月13日付朝刊〕』(朝日新聞社)の地域面から。『同〔1998年3月22日付朝刊〕』の地域面にも。
『ねんねんねむのき』が刊行!
1998年(平成10年)3月、フレーベル館。『アンパンマンのこもりうた』の第2回配本。21cm×16cmのA5判。
かつぶしまん勝利!
某アニメではネコに弱いかつぶしまんだが、この絵本では立場が逆になっている。