喜べないこの記録?
2009年(平成21年)、『アンパンマン』のキャラクター数がギネス世界記録に認定された。本来ならおめでたいことなのだが、私はそれを勲章≠ニして素直に受け入れることができなかった。
世間はやなせ先生のただのキャラクターメーカー≠ニしか思っていない。ギネス記録なんて、その間違った認識を助長するものなのである。
氾濫するアンパンマン
町で『アンパンマン』のキャラクターを見ると、とても複雑な気持ちになる。何も知らずにキャラクターがプリントされたシャツや靴を身につける小さな子供たちには心が痛むが、女子高生などのデカいネエちゃんがバッグなどにぶら下げているマスコットは、はっきり言って目障りだ。
『アンパンマン』って、いつからキャラクターに可愛さ≠追及する安っぽい作品になったのだろう? やなせ先生は、むしろ、泥臭いヒーロー≠描きたかったはず。
戦争とかつての日本
『アンパンマン』が誕生したのは、1960年代のどこか。やなせ先生がとあるラジオの番組の脚本を担当し、その中のひとつだったという。それから童話、絵本、漫画、ミュージカルと色々なメディア展開を経て現在に至る。
世界には国が貧しく、戦争や飢えで死んでいく人たちがいる。かつての日本もそうだった。やなせ先生は、「そんな国の人たちに食糧を支援するヒーローがいれば…」と平和を願って、『アンパンマン』を描き始めた。ユニークなキャラクターに癒されたり、ツッコミを入れるだけの単純な作品ではいのだ。
キャラクターだけ
『アンパンマン』のキャラクター図鑑なる出版物が発売されると、「またか…」と舌打ちをしたくなる。アンパンマン検定≠ネるキャラクター当てクイズにも。キャラクターの顔と名前だけ覚えて何の役に立つか? 『アンパンマン』を理解している人なら、もっと重要なことに気がつくはず。
あの年の秋
1988年(昭和63年)10月3日、『アンパンマン』のテレビアニメが、日本テレビで始まった。巨人の王監督の退団が発表されたのはその4日前。世界のビッグワンのニュースは、来季の巨人でも来季のプロ野球でもないひとつの時代の終わり≠告げるものだった。昭和天皇のご容態が悪化したのもこの頃の話。
球界といえば、南海ホークスのことも忘れてはいけない。経営難と大阪難波の開発計画から球団を大手スーパーのダイエーに売却。シーズン終了を持って長い歴史に幕を下ろす。
ソウルオリンピックも閉幕し、アニメの『アンパンマン』は例年とは違う寂しい秋の風が吹く中でひっそりと始まったのである。
全国のアンパンマンへ
『アンパンマン』のテレビ放送開始について、当時のメディアの扱いはドライだった。日本テレビの情報ならどこよりも詳しい『読売新聞』(読売新聞社)でも、初回放送のテレビ欄に番組記事が書かれたくらいで、広告などの派手なPRはなし。局内でもあまり期待されていなかったのだ。何しろ月曜日の夕方5時という地方では別の番組が放送されている時間帯である。
こんなスタートだった『アンパンマン』だが、翌春には『ドラえもん』に並ぶ人気アニメとして注目され、文化庁でテレビ用優秀映画に選ばれる。ゴールデンウイークに入ると全国各地のデパートなどで、さまざまなイベントが開催された。
ゲーム業界の救世主!
クレーンゲームの歴史を変えたのも何を隠そう『アンパンマン』だ。
『毎日新聞〔1992年(平成4年)4月14日付夕刊〕』によると、かつてのクレーンゲームは、外国製のタバコを安い値段で手に入れられるというのが売りで、会社帰りのおじさんたちのちょっとした遊びだった。ところが、未成年がゲームセンターに立ち寄るようになるとそれを自粛。おじさんたちはコインを投じなくなる。
そして、その起死回生にゲームメーカーが目を付けたのが、テレビでヒットし、玩具などのグッズが売れている『アンパンマン』だった。クレーンゲームの景品が人形に定着したのはこれが成功したからなのである。
天狗になったアンパンマン?
しかし、世間に「『アンパンマン』はキャラクターだけ」という認識を植え付けたかもアニメだ。最初の1年くらいまでは謙虚さが感じられたが、人気を確信し、『アンパンマン』というだけで商品になると、ストーリーは次第に粗末になっていく。気がつけば、正義の味方が暴力で悪者を成敗する誰にでも考えられるような単純なアニメになってしまったのだ。飢餓や飢饉、そして反戦などの本来のテーマは忘れ去られたのである。
逆転しない正義
やなせ先生は戦争の経験者。国のために戦ったかつての若者の1人だった。しかし、正義はある日を境に逆転する。終戦を迎えると、今まで信じていたことが全て覆されたのだ。
この戦争はやなせ先生の弟さんも含めて多くの犠牲を出した。正義ってこういうものなのか? やなせ先生は首を傾げた。そして、数十年後、その結論を『アンパンマン』という作品で出す。
正義のための戦争なのに人から命を奪うのはおかしい。だが、飢えた人に食べ物を支援し、弱体化した命≠救うことなら、誰が見ても納得する。これが立場が変わっても逆転しない正義という訳だ。
しかし、アニメの『アンパンマン』には「ばいきんまんがかわいそう」という声もある。つまり、ばいきんまんの立場から見たら納得できない正義なのだ。
戦争経験者がまた1人
やなせ先生は2013年(平成25年)10月13日に天国へ旅立った。これは『アンパンマン』の作者不在問題だけではない。やなせ先生は年々少なくなる戦争体験者の1人≠セったのだ。
そんなやなせ先生の遺志を継ぐのには何をすればいいのだろう? くだらないキャラクター当てクイズに正解することが、反戦への理解につながるのか? そして、あのアニメの好き勝手を許していいのだろうか?
アニメも、一応、人に自分の顔を与えるが、しょせんは子供のお菓子≠ナあり、やなせ先生が考えていた飢餓や飢饉などの深刻な問題とは違うだろう。